深夜徘徊をする大学生は多い。「手っ取り早く何者かになれる気分になる」という言説もあるそうで、実際自己陶酔の一環で夜中にウロウロする若者も多いらしい。
人が寝るような時間にアテもなく近所をほっつき歩くという冷静に考えると意味のわからない行動だが、そんな奇行を私もしたことがある。今回はその時の話をしようと思う。
大学1回生の初夏、軽音サークルに入っていた頃だ。ライブ前日になっても曲の仕上がりに自信のなかった私は、一夜漬けで最後の仕上げをしたいと思っていた。しかし夜に音を鳴らして練習すると家族を起こしてしまう。そう考えた私は何故かギターにピック、あとスマホとイヤホンを持って外を出た。実家はマンションなので、最初は1Fの共用トイレに篭って練習をしていた。自信のないフレーズを何度も何度も繰り返す。
確か、そうしているうちに偶然友人から電話がかかってきた。サークルに入ってすぐの頃に出来た友達。翌日のライブで一緒に演奏するメンバーでもあった。
もう前の話なので具体的にどんな話をしたか、そもそもどういう要件でかかってきた電話だったかは覚えていないが、昔話をする流れになったのは覚えている。高校の頃、部活が嫌で嫌で苦労した話だった。詳しく話すと長くなるし、どれくらい長いと言うともしかしたら次の記事に出来そうなくらい長いから割愛するが、話を聞いた友人が「お前も苦労してたんやなあ」と新発見のような口調で言っていたのは覚えている。まだ出会って間もなくお互いがお互いの過去や人間性をよく知らなかった頃に、関係性が一歩踏み込むことが出来た瞬間だったことを覚えている。
程なくして電話は終わり、どういう訳かじっとしていられなくなった。本当にどういう理由だったかはまるで思い出せないし、今となっては理解も出来ないが私はトイレのドアを開けて夜の近所に駆り出した。
服は勿論パジャマだったしギターをぶら下げて自信のないフレーズを何度も弾きながら夜の町を歩いていた。家族を起こしてしまうから家以外の場所で練習していたはずなのに、外で弾いて回るなどかなり倒錯している。まあ実際はアンプにも繋いでいないギターの音など外で響くわけもないから近所迷惑にはならないのだが。
夜中の3時とかそこらなので人がいる訳もなく、月並みな感想だが見慣れたはずの町なのにああもがらんどうになっていることに強い違和感を感じた。店だって当然しまっていたがしかしそれでも街灯は変わらず光っていたのもそれはそれで不思議な感覚だった。
そよ風にあたりながら空っぽの町を一人でギターを弾きながら練り歩いていたが、駅の近くだと若い賑やかな社会人集団がいて遠巻きになんとなく不愉快だと思いながら見たり、車に怯えるもよくよく考えたらパジャマでギターを弾きながら歩いている人間の方が怖いかと思いながらすれ違ったりもした。
最寄り駅から離れて小さなトンネルに入ったのも覚えている。屈まないと入れないくらいのトンネルに入って、練習用動画を見ながら不安なフレーズを何度も繰り返したのを覚えている。
やがて時刻は4時を回り、自分が今まで起きたことのない時間だったのが怖くなって帰路に向かった。幸い家族の誰にも気づかれることなく部屋に戻りベッドで寝ることが出来た。
「何者かになれる気分になる」らしい深夜徘徊だったが、実際私がなれたのはただの不審者だった。それ以上もそれ以下もない。別に精神的な変化など何もない。これが現実というものだ。ただ何回も見てきた景色の少し違う一面を見たことはそれなりにいい思い出になったし、深夜徘徊を通してあまり通らなくなった道等を、通行人すらいないたった一人で干渉に浸りながら改めて歩いた時の経験は、大学に上がったばかりで不安定な時期にとっては良い刺激になったと思う。自分のためだけにギターを弾きながら歩いたことで、精神的に自分の空間が拡張されたような感覚になり、静かに全能感が高まったのも少し覚えている。
ちなみに肝心の練習は全然身に入らなかった。
ちなみに翌日の演奏は成功した。自分の番が来るギリギリまで往生際悪く一人で練習を続けたのが功を奏したと思われる。電話をかけてきたあの友人は結局ギターを仕上げることが出来なかったので彼のパートも代わりに弾いた。
少し気になっていた子と談笑し、新たな友人達に囲まれ、先輩や同期、他サークルのメンバーにまで演奏の出来や剽軽な人間性を認められた。今まで人に認められた経験が少なかった自分にとっては本当に嬉しかった。
深夜徘徊とそれに関する出来事は、まだ大学に馴染めず高校の思い出を引きずっていた自分があの頃のノリを終わらせた要因の一つになった。
総合的にプラスはあった深夜徘徊だが、私はもう深夜徘徊をする気はない。今の私の成長に深夜徘徊による刺激は必要無いし、何より夜は寝たい。
終わった青春のひとつ、それが深夜徘徊である。
