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思想
英語の教師:


「は
いこんにちは、オーケーセンキュー!Mr〜〇〇‼︎」

基本的に、教師に対しては好きもクソもない。先日記事にした中学の顧問なんかは大嫌いだし、嫌いな教師は一定数いるが好きだと言える先生はほとんどいない。先生を好きだと思う気持ちがわからない。学問や人として大切なこと等を教えてくれて「ありがたい」と思うことはあるが、個人的にはありがたいことと好きだと思うことは同じとは限らないと思っている。
しかし何事にも例外がある訳で、そのただ一人の例外、私が唯一好きな先生が、この冒頭の挨拶をいつもしていた英語の先生である。

彼には中学3年間英語の授業を持ってもらっていた。恐らく4〜50代の中年だがテンションが異様に高く、生徒への距離感が近い一方で、机の並びが整っているか等を異様に気にしたり、「決められたルールの中で楽しもうな〜」が口癖なくらいにはルールを守ることを重要視したりする几帳面な一面もあった。
そんな彼は周りからは距離感が近いしテンションもついていけなくてしんどい上、妙に生真面目な部分もあって苦手もしくは嫌いだと評価されることが多かった。しかしそれでも私は本気で彼のことを最後まで好きだったのだ。ここからは何故私がそんな嫌われ者の教師をずっと好きだったのか解説したいと思う。

まず、個人的に高いテンションと朗らかさは癒しだった。中学と言えば勉強も部活も大変だし、規則も厳しくていつもどことなくピリピリしていた。そんな中で彼の授業はユーモア溢れる、いや、彼流に言うならヒューモア溢れる楽しい時間だったのだ。

それに彼は生徒に寄り添う努力を怠らなかった。
確かに3年経っても普段下の名前で呼ぶ程気に入っている生徒以外の名前も覚えられなかったが、それでも「暗い性格」を自称しながら極力明るく振る舞ったり、成績に伸び悩む生徒や逆に上がった生徒を呼び出して励ましや賞賛の声掛けをしたりと、生徒の為を思った行いを心がけていたように私は感じた。

少し話が被るかもしれないが、彼はまた生徒をよく見ようとしていたとも思う。
中1の頃、私はちっとも愛想が無く授業中のユーモアで笑うことがほとんど無かった。しかしそれでは先生に好かれないし損だぞと親に強く言われ、愛想笑いでも笑うよう意識した。そんなある日、いつもの「ヒューモア」で私が笑っているのを先生が見つけ、「怪獣が笑ってるのを初めて見たんだよ〜」と嬉しそうに言い、後ろに貼ってあった名簿をしみじみと眺めていた。「ええ名前やんか。」そう言ったその日から私は下の名前で呼ばれるようになった。
色々理由は挙げたが結局この出来事が一番好きになったきっかけかもしれない。彼は周りに疎まれながらも生徒との距離を縮める為に生徒をよく見る努力をしていたのだ。

以上が英語の先生のことが好きだった理由だ。
こうして良かった所を上げると確かにいい先生に見えるが、その一方でやはり疎まれているだけあって手放しに褒められない部分もたくさんあった。
生徒の為を思った言動は私以外の生徒には距離感の見誤りのように受け取られていたし、お気に入りの生徒とそうでない生徒とで対応に差があった。怒ることはほぼ無かったが時折苦手な生徒等に対しドライな態度を取ることもあったし、他の教師と授業の歩幅が合わないという痛い問題点もあった。
また人伝で聞いた話だが、生徒を不登校に追いやったという噂も立っていた。事実かどうか、その詳細は私にはわからない。

問題点を振り返ると、彼は良い教師どころかむしろかなりアレな教師だったように感じる。しかしそれでも私は彼が今でも好きなのだ。
例え教師として問題大有りだとしても、彼にまつわる楽しかった思い出は嘘にはならない。正直英語の授業でやったこととか今ではほとんど忘れてるし、成績に悩んだ私にどんな助言をしたかも覚えてない。それでも先生がくれた思い出や楽しかった気がする感覚はずっと残ると思っている。
という訳で最後は英語の授業では恒例だった終わりの挨拶で締めたいと思う。

「ハイ、今日も皆さんがルールを守ってくれたお陰で良い授業になりました!オーケーセンキューMr〇〇!」
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しこり


しも人生で一度は「ちょっと気になる異性」に出会う事だろう。それは思い出で終わる、あるいは思い出にもならずに忘れ去られる場合もあれば、ずっと心のしこりとして残る場合もある。今回は後者の心のしこりになった話をしたい。

彼女とは軽音サークルの集会で出会った。私の顔見知りと喋っているのを見かけたので、顔見知りに声をかけるついでに勢いで話しかけ、そこからすぐ打ち解け連絡先も交換した。その後インスタのDMで喋ったり友人たちも交えて飲みに行ったりする事でお互いを知っていった。高校の頃はギター部の部長をやっていたとか、歯医者のバイトをやってるとか、色んな話を聞いたのが懐かしい。
色々やりとりしていく内に、段々私は彼女のことが気になるようになってきた。その頃の私は恋人も出来たことのないような童貞だったので、「頭が良い」とか「面白い」とかベタ褒めされたり、すれ違った時笑顔で手を振られるだけでその気になってしまっていたのだ。
しかしそんなことを思っても仕方がなかった。何故なら彼女には恋人がいたからである。

私と出会ってから程なくして彼女は恋人を作っていた。よくインスタを上げるタイプだったので彼氏の顔は何度も見たことがあったが、彼が実際どういう人なのかとか人となりを知ることは最後までなかった。
だから「この子には彼氏がいるから」と自分に言い聞かせ余り入れ込まないようにしつつ、内心ずっとドキドキしていた。ちなみに彼氏が出来ても私とのDMは変わらず続いていた。正直彼氏がいるのにいいのかなって思っていたが、まあその辺りは厳しくないカップルだったのだろう。多分。

彼女と最後に会ったのはサークルでのライブの時だった。成り行きで彼女含めた友達みんなとバンドを組むことになったが、スケジュールが合わず当日までバンド練をせずに本番に臨むことになった。当日直前くらいは全員揃いそうだったのだが、生憎私はハワイで旅行中だった為それも叶わなかった。
当日、一人でライブハウスに向かう私のもとに彼女がダッシュで駆け寄って来たのを鮮烈に覚えている。ここでも「彼氏がいるから」という理性に反して私はドキドキしてしまった。相変わらず彼女は私のことをベタ褒めしていたし、私のおふざけは全部笑ってくれた。それに対して私もずっとヘラヘラしていることしかできなかった気がする。
演奏の方は出番直前の練習だけにしては案外上手く行った。演奏も結構褒められたが、私はそれよりボーカルだった彼女の歌声に心のどこかで惹かれていた。演奏する時は周りの音も聴きながら弾くものだが、演奏中に他人の演奏に惹かれる経験は初めてだったし、最後でもあった。
演奏が終わった後に彼女とハイタッチをし、それからすぐに私は家に帰った。帰る時に、私は待ち時間に彼女とサークルを辞めるかどうかの話をしていたことについて考えていた。入っていた軽音サークルでは学年が上がるごとにライブ等で払うお金も増えることになっており、金がかかりすぎるのが嫌だからという理由で彼女は辞めるか検討していた。私もそれには同感していたが、彼女を含め周りから「お前はサークルの中心なのに辞めてどうするんだ」と言われてしまった。しかし結局彼女とDMで相談し合った結果お互い程なくしてサークルを辞めることになった。

その後私はサークルとは全然関係ない女の子と付き合い、あの頃のことは忘れて恋愛に没頭し、その頃にはDMも途絶えていった。
恋人とは1年くらい付き合っていたがいろいろな事情で別れ、心の奥底にしまっていた思い出がまたぶり返してしまった。それからまた彼女とのDMが久々に再開された。久々に連絡を取るとあの頃あんなに仲睦まじかった彼氏とは別れ、「気色悪い」とまで言い捨てていたり、就活や卒論で鬱を拗らせていたりとあの頃の綺麗な思い出とは随分変わってしまっていた。彼女は卒論への怨嗟を込めたメッセージを残してまたしても音沙汰が途絶えてしまった。

今振り返ると小っ恥ずかしくて仕方がないくらい些細なことでドキドキしたり心を揺れ動かされていてアホみたいだったが、今思うと彼女はサークルでの青春の象徴のようだった気もする。楽しいことや初めての出来事がいっぱいあったし、自分を認められる場でもあった、そんなサークルの象徴。しかしサークルとは違うのは、自主的に辞めたサークルとは違って関係が自然消滅し、友達ですらいられなかった無念や、見ない内に変わり果てていた悲哀があったことだろう。
もう少しどうにかならなかったのだろうか、あるいは今からでもどうにかできるのだろうかという思いはしこりとなり、いつまでも心の奥底から離れない。
今は個人的に忙しいし、また新たに恋人も出来たのでしこりに目を向けることもほとんどないが、何にも没頭していない瞬間や、過去を懐かしむ瞬間にふと思い返してしまうことがある。しこりが解消されるまではもう少し時間がかかるだろう。

正直今更連絡をしてもなんとなく返ってこない気がするし、実際に会うのは尚更不可能に近いと思う。言うなれば会うことないリストの一員である。しかし心にほんの数%でも「本当に終わった人間関係なのか?」という疑念がある限り割り切れないものがある。
果たして私は人生でもう一度彼女と関わる機会はあるのだろうか?それとも結局思い出のまま終わるのだろうか?
中学の顧問


先日高校の顧問の話をした。素晴らしい先生だった一方で問題点もあったという話だったが、今回は別に素晴らしくもないし問題点も山積みだった中学の顧問の先生の話をしようと思う。
本当に酷かったので読む際は注意してもらいたい。

中学では、とりあえず運動部に入っておきたいといういかにも中学生らしい理由でテニス部に入った。私の頃は部活動が緩くなる過渡期だった為、朝練に始まり絶対下校の18時ギリギリまで午後練をして終わる生活を毎日送っていた。休みの日も月1くらいだった気がする。初期は週1もなかったはず。練習はハードだったが、もっとハードだったのは顧問の先生だった。
毎日ピリピリした表情でテニスコートに入り、椅子にふんぞり返っては練習している生徒達に怒鳴ったりネチネチ怒ったりしていた。試合中はレギュラーメンバーに対する怒鳴りや説教がもっと酷かった為、見ていて可哀想だった。詳しい内容は覚えていないが、テニス経験者の割には割と気持ちとか根性論みたいな内容が多くて理不尽感に拍車がかかっていた。

部員に対するケアも酷かった。基本的に部内でトラブルが起きた場合は、不登校が出るなど部活外でも影響が出ない限りはいい加減な説教で事を収めようとしていた。しかし、お気に入りの先輩が部活を辞めたいと泣き出した時はわざわざ部活の時間を割いてまで部内ミーティングを開き部員達に大激怒していた。実際先輩が気を病んだ理由は、先輩のパワハラや嫌がらせに耐えかねた部員達が先輩を邪険に扱うようになったからであり、自業自得もいいとこなのにそこには触れようともしなかった。「先輩に迷惑をかけた自覚がある奴は手を挙げろ」と言われて挙げなかったのが私のささやかな抵抗だった。

ここまでは良くはないがまあよくいる範疇かも知れない。しかしそれだけではない。彼は狂っていた。
先輩達が引退して新体制となり、新メンバー初の公式戦があった。しかし成績があまりにも芳しくなく、普段は大激怒するはずがその日は放心状態になっていた。ミーティングでどのくらい怒るかと身構えていたら、先生は「これから部活が始まる時には円陣を組もう。それで部活終わりには校歌を歌おう。」と淡々と言い出した。困惑する一同。しかし先生の言う事は絶対だった為それから毎日本当に円陣と校歌をやることになってしまった。校歌は声が張ってないと怒られたし、スケジュールが押していても絶対歌わされた為絶対下校を過ぎてしまうことが何度かあった。そして迎えた次の公式戦。なんとエースが個人で県大会に出場するという快挙を成し遂げた。そのせいでまるで校歌に本当に効果があったみたいな空気が流れ、結局我々は引退まで校歌を歌うことになった。今も続いているかは不明。円陣の方は先生がいる時以外やらなくなった為、すぐに形骸化していった。
異常な行動と言えば他にも校長先生が暑い中の部活だからと買ってくださったテントを自分で使ったり、他校はそんなことしてないのにラケットやシューズ等の道具の色まで指定してきたりした。あと「部員のやる気がないから今日は終了」と言って職員室に帰るやつを何度も何度もやっていた。最初の頃は困ったがだんだん慣れてきて最後の方は「今日は終了」を言われたら普通に整備するようになった。

そんな先生だが、勿論部員全員から嫌われていた。うちの部は仲が非常に悪く、まとまりがないし風通しの悪いチームだったが、それでも全員顧問が嫌いという思いだけは一致していた。共通の敵がいてもなかなかまとまらないものである。
部員だけでなく生徒達からも嫌われていた。普段は明るく爽やかな雰囲気を出していたが、怒る時はネチネチしてるし怒鳴りがちなのは一緒だし、女子にだけ露骨に甘く、女子にしか挨拶を返さないのも嫌われる要素だった。「あいつに挨拶して返ってくる確率は宝くじ」と陰でよく言われていた。
後から聞いた話だが、他校でも嫌われていたらしい。先生の性格の悪さは側から見る分にも伝わっていたようだ。

ハッキリ言って中学の顧問の先生なんか大嫌いだ。死ぬまで嫌いだと思うし二度と会いたくもない。私の知らない所で不幸になっていてほしい。しかしただ罵倒するだけならつまらない。ここからは何故あんな怪物が生まれたのかを考えたいと思う。

結論から言うと、先生は真面目過ぎたのだと思う。真面目過ぎて狂ったんだと私は考えている。
実際授業は本当にわかりやすかったし教室の掲示も綺麗に貼っていて几帳面でもあった。ベテラン教師がこっそり配置を変えてたのにもすぐ気づいていて当時非常に驚いた。また、若い頃彼の担任を持っていたという先生曰く「学生の頃からとても真面目だった」とのことだったので、先生が真面目でキッチリしている人だったのは間違いない。
また、先生は明らかに普段は明るい先生、部活では厳しい先生として振る舞おうとしていたが、本人が「自分は暗い性格」と言っていたのもあってか、ここまで書いてきたようにどちらも上手く行っていなかった。
これらを元に考えると、先生は自分の中で理想の先生像があって、それに近づけるように頑張っていたが現実はなかなか難しく、その乖離に押しつぶされていたんじゃないかと私は思っている。しかも先生はめちゃくちゃ厳しかったけれど好成績も多数残した敏腕顧問の後任だったのもあってそのプレッシャーは大きかったのかも知れない。前任はテニス未経験だったのに対して自分はテニス経験者というのも重荷になっていたのだろう。
そんなゴタゴタしたメンタルで当時の部活動という無賃重労働をすることになるのだからそら壊れる。あれは真面目な人がおかしくなった姿だったのかも知れない、と私は考えている。

最初にも少し話したが、私が中学の頃は部活が緩くなっていったり、体罰などの理不尽な教育が見直されていく過渡期だったのだ。
体罰はほとんどなかったが冗談のノリの暴力や胸ぐら掴まれるくらいまではあった気がするし、大人でも萎縮しそうな恫喝だとかは全然あった。部活に関しても休みがほとんどなかったと話したが、少しずつ週の休みは増えていき、最終的に土日の片方と平日もう1日くらいの休みは出来ていった記憶がある。もうだいぶ記憶が曖昧だから正確かどうかはわからないが。
体をいっぱい動かすのに休みが全然ないし帰りも遅くなるのは先生にとってもキツかったに違いない。しかも部活動に賃金は発生しないらしいので完全にやりがいだけで働かされているのだ。場合によっては知識もないのに人が足りないからとやらされて、まあ普通はやりたくない重労働である。しかもそこに先生が優位な環境も相まって真面目にやる程おかしくなってしまうのはある意味仕方のないことかもしれない。まあ先生がおかしくなったら生徒はどうしたらいいんだって話だが。

しかし現在では体罰や子供への対応はどんどん厳しくなり、少しでも何かあれば全国で問題になる時代になった。おまけにこれはうちの地域の話だが、従来の部活動はなくなり今後は先生ではなく地域主導でゆるくやる活動に変わるらしい。それを聞いた時に私はいの一番に「今の子供達は良かったなあ」と思い、だんだん自分の代もこれが良かったなと思うようになった。そして今はあの先生もこのシステムならどれだけ楽だっただろう、とも思う。

先生は私が入学する1年前に赴任してきたらしい。それで私が成人式の頃まではいたらしいから、今頃はどこか別の学校に異動なさっていると思われる。
部活動はもうないみたいだが、あれから元気でやっているのだろうか。
軽音サークル


学1回生の頃、軽音サークルに入っていた。この時の出来事が高校の頃の思い出を引きずっていた私を変え、今を生きる大学生になることが出来たのだが、サークル自体は割とすぐ辞めてしまった。今日はその頃の思い出を書いていく。

高校の頃軽音楽部に所属していた私は、大学でも音楽を続けたいと思い一番緩かった軽音サークルに入った。高校までの友達も同じ学部の子も全くいない中、私は不安を感じつつも馴染む為に積極的に周りに声をかけたりしていた。典型的な大学1回生だったと思う。
サークルでの在り方が確立してきたのは楽器の説明会だった。ざっくり説明すると各楽器ごとでライブハウスに集まり、楽器の説明を受け、終わったら楽器屋を適当に巡って飲み会という流れだった。高校の頃ギターをやっていた経験者として周りと差を見せつけたいと思っていた私は、服装をバチバチに決めて説明会に出向いた。しかし早く着きすぎたせいで時間が余っていた為、「おしゃれな奴」感を出したくて適当な服屋に入って時間を潰そうとした。そしたら店員が喋ってくるタイプの服屋だった為服を買わされ、バチバチにキメた服装はパンクなファッションに様変わり、趣向の違うおしゃれになってしまった。その後はあくびをしながらもう知ってるギターの話を聞き、初めて会った同級生と手探りな様子で喋ったりしていた。
そして遂に飲み会が始まった。人生初めての飲み会。しかしまだ同卓のメンバーとは慎重にしか喋ることが出来ず、自分の殻を破れないでいた。そんな中、私は学部の知人が酒を飲み始めていることを思い出した。自分も飲める時に飲んでおいた方がいいのでは・・・そう思い周りが誰も飲んでいない中カルピスハイを頼んだ。届いたカルピスハイ。いざ飲んでみると少し味の変わったカルピスと言った感じで内心「こんなものか」と思った。調子がついて手当たり次第に酒を頼んだ。周りにも回して、「なんじゃこりゃ!?」とみんなで言いながら段々卓が盛り上がってきた。私の注文はエスカレートし、酒を飲んだこともない者にはハードなハイボールまで頼み出した。「こんなんほぼ消毒液やん!」と周りが言う中勢いづいた私はガンガン飲んでいた。気がついたらどこからともなくお猪口まで出され、こればっかりは味に面食らいながらも結局飲んでいた。気がつけば7、8杯目。飲酒ビギナーにそんな量耐えられる訳もなく、挙句ペースを見誤った為気がつけばまともに立ち上がることも出来なくなり、その場で戻してしまった。初めての飲み会で大失敗。しかしその時の朗らかな人柄と大ポカは周りに強い印象を残し、サークル内でのキャラクターが確立したと共に同卓だったメンバーと仲が良くなった。

説明会を通して私の中で勢いがつき、本来の自分らしい明るさでメンバーと振る舞うことが出来るようになった。同卓の友人とはサークル終わりや、サークル以外でも遊んだりするようになった。服屋に迷い込んだのも自分の中では大きな転機になり、今まではしなかったタイプのファッションを試したり、おしゃれにより気を遣うようになった。あの店にはその後も何度か行っていた。
そうしている内に、気がついたら私はサークルでも目立つ存在になっていた。インターネットでそういうことを言う人って胡散臭いと思われがちだし、私も真っ先に認知の歪みを疑うタイプだが、いろんな人から「目立つ存在」だと言われ、私の周りに沢山人が集まったりもしたから全くの間違いではないはず、多分。先日の記事でも少し触れたが、私は今までの人生でも良好な人間関係を築くことが出来、友達にも困らなかったが、その一方で自分が認められていると心から思えることは非常に少なかった。だからこそ大勢に囲まれ、会話でも自然と中心になり、周りから人間性をストレートに認められる経験は本当に嬉しかった。今まで私は周りに必要のない存在だと思い、それを悲観的にも感じていなかったが、私は今みんなにとって必要な存在なんだと思えるようになった。こう思ったのがきっかけで、学部の堅苦しい雰囲気があまりしっくり来ず、高校の思い出やノリをいつまでも引きずっていた私は大学生活にだんだん順応出来るようになっていった。

しかし私は1年の秋で軽音サークルを辞めてしまった。理由は事あるごとにどこに使われるかも不明瞭な会費を大して歳が違わないし責任感もなさそうなのに幹部として振る舞ってる人たちに搾取されるのが不快だったのと、サークル全体のノリが少しおぼこく感じてきたからである。辞めるか悩んでいることを周りに打ち明けた時はまず信じてもらえなかった。ほとんど中心みたいな存在なのに辞めてどうするんだ、と周りは思っていたらしい。しかし私の決心は揺るがず、当時ちょっと気になっていた女の子と同じタイミングでサークルを辞めた。女の子に影響されて辞めたのでは?と聞かれるとYESともNOとも言い切れない。

私を変えた青春は、私が一通り変わったと共に終わったが、それでもあの時同じ卓だった友人達とは今でも仲がいいし、これからもずっと仲良くしていきたいと思っている。サークルで殻を破れたお陰でその後もまた別の場所でいろんな友達を作ることができたし、服に本腰を入れてこだわるようになったお陰で容姿を認められることも増えた。「自分は誰かにとって必要な存在である」という思考が根付き、自己肯定感も上がったし他人をより大事に出来るようになった。ついでに初っ端からやらかしたもののなんだかんだで酒も好きになった。サークルを辞めて連絡を取らなくなり「会うことないリスト」に入ってしまった友人もいたし、気になったことの連絡も今は途絶えてるし、ギターもほとんど弾かなくなった為失ったものもあったが、それ以上に得られた大切なものがいっぱいあったと思っている。短い間だったが、確かに大学の青春の一つであった。

思うことは色々あるが、とりあえずはあの頃から続いている、私を認めてくれて、私をありのままでいさせてくれる友達はできればこれからもずっと大切にしていきたい。
高校の顧問


校の頃の軽音楽部の顧問の先生は素晴らしい人だった。特定されるかもしれないので詳しくは言わないが、若い頃コーラスユニットの一員としてTVに出演していたくらいには有名人だったし、音楽への造詣も深かった。落ち着いていてどこか厳格な雰囲気もあった一方でよく生徒と談笑していたり、私が練習で上手くいかなかった時は励ましてくれた。演奏に関するアドバイスやおすすめの曲を記載したプリントをよく配ってくれるくらいには熱心だったし、軽音楽部の顧問としては完璧だったと思う。
が、今回の話題は「果たして彼は本当に良い顧問だったのだろうか?」についてである。

確かに彼は「軽音楽部」の顧問としては非の打ち所がなかった。優秀な顧問だったと思う。がしかし、我々にとって優秀な顧問だったかと言われると首を縦に振りづらい。
我々はハッキリ言って運動は出来ないけれど青春っぽいことがしたい陰キャの集まりであり、陽キャの真似事をしたくてなんとなく群れてスカしたユーモアを披露したりするも、実際陽キャではないので距離感やノリの程度や加減がわからない為ユーモアはビックリする程つまらないのに体を張る気骨も無いし、群れるとノリの合わない人間を排除しようとする排他的な空気を漂わせていた。
だから表向きでは最悪大声を出しとけばウケると思い込んでいるつまらないユーモアでヘラヘラし、裏ではハブりあい、陰口の叩き合いが横行している最悪の部活だった。
演奏は上手かったかと言われると、ごく数名上手い者がいたが他大半は大したことがなかった。卒業してから下の代が大きな大会に度々出ているのを知り、ほとんど大会に出ず身内でゴチャゴチャしていた自分達はなんだったのかと思ったのを覚えている。
もうお分かりだと思うが、私はこの部活が大嫌いだった。

少し部活についての話が膨らんでしまったが、何が言いたいかというとあの顧問の先生は我々のレベルと合っていなかったのだ。音楽の技能に関しても、人間性においても。
2個上の代がトラブルで大勢辞めた反省として入部前に半ば脅すような顧問口調で「軽音楽部はバンド単位で活動するから軽率に辞めると迷惑がかかる、だから辞めるな」と入部希望者全員に言っていたりと部員のことを気にかけていたが、基本的に放任主義というか、部活には度々顔を出すが部員達への過度な干渉は避けていたし、生徒を叱る際も音楽に関することでしかほとんど叱ることがなかった。

だが私は、もっと音楽以前に人間性についての指導をして欲しかった。ハッキリ言って音作りがどうとか学内ライブの段取りがどうのとかじゃなくて徒党を組んで陰口を叩き合うなとか気に入らない部員をいじめるなとかそういう事を叱って欲しかった。気に入らない者が掛け持ちしようとしていたのを圧力をかけて阻止したり、部内を仕切ってる奴が都合のいいように陰で根回ししたバンド決めに対して「おっ、今年はすんなり決まったな」じゃなくて「そういう決め方はキモいですよ」って言って欲しかった。こんな部活に嫌気がさして部活に行かなくなった私を陰で心配するんじゃなくて声をかけて欲しかった。

多分、もっとリテラシーがあって音楽活動に積極的な人の集まりだったらピッタリな顧問だったと思う。しかし我々の顧問をやるにしては善性を信じすぎだったと思っている。お世話になった先生だしあまり厳しい事は言いたく無いが、ハッキリ言って気にかけていたとか気づいていたとかって、行動に移さないと何にもならないのである。不毛で独り善がりである。
私は人間関係で「距離感」を重んじる「距離感信者」だが、それで言えばこれは距離を取りすぎた例になる。

だが別に私は彼を恨んでなどいない。本当に素晴らしい顧問だったと思っている上で、でも完璧では無いところもあったと言っているまでである。実際彼が異動になった時は悲しかった。泣かなかったし送別会はいの一番に帰ったが。
今頃先生は何をしているのだろうか?どこか知らない高校でまた軽音楽を教えているのだろうか?また会いたいかと言われると、今更話すこともないので答えはNOだが、それはそれとして切実に元気でいて欲しいと思う。
PROFILE

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ダイビング、ギター、ゲーム等
自己紹介:
涅槃
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