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思想
空虚な祈り


は多くの祈りを交わしながら生きている。
別れの挨拶なんかいい例だ。「またね」は文字通りまた会いたいという祈りを込めた言葉である。人は無意識のうちに自分や人、続いていく日々等に対し多くの祈りをしているが、その中にはどこに届いているのかよくわからない空虚な祈りもあると私は考える。

私が思う空虚な祈りの代表例は、会話のふとした瞬間に出る「今度飲みに行こう」である。LINEやDMなんかでふと思いつきで発する、約束にも満たない「祈り」。また会いたいと思って祈るが、具体的な日程までその場で考えるつもりはないし、相手も自分と会いたいと思っているかはよくわからない。ただ祈りだけを込めた言葉なのである。
よっぽどじゃないと言葉では断られないが、飲みに行くことが必ずしも実現される訳ではなく、祈りは相手に届かず虚空に消えていくことも多い。

祈りをする時、会いたいと思う気持ちに嘘はないがその一方で実際に会うことはないだろうという諦観も混じっている為、いまいち身の入らない祈りになってしまう。大して中身も無ければ祈りの行き先も迷子。だから空虚な祈りなのだ。会いたいけど本気で予定を立てる気はないだとか、会える気がしないだとか、なんとも中途半端で矛盾を抱えた不思議な行動とも言える。しかし祈るだけなら気持ちが楽だから、結局空虚な祈りを投げ合って終わる。

と言うわけで私はまた空虚な祈りを誰かに投げてみようと思う。なんの責任も重みもない、空虚な祈り。本気で会いに行こうとすると、拒絶されないか怖いから。多分会える気がしないから。だから空虚な祈り。臆病で弱気な、祈り。でもそういう軽はずみなものも含めた祈りが飛び交うことで人の日々は成り立っていると私は思っている。それに曲がりなりにも祈れば何か叶うかもしれない。そんな淡い期待を込めて私は、祈る。
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