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思想


を売る人間が大嫌いだ。本気で嫌い。他にどんな魅力があろうが媚び癖のある人間は問答無用で嫌いになる。何故こんなに嫌いなのか。今日はその話をしたいと思う。

中学の頃、初めての部活動で毎日の練習やクラスメイトとは違う関係性の仲間、上下関係等初めてのことだらけで私も同期もみんな内心緊張感を抱えていた。そんな中で幼い頃からの親友が「おい、先輩には気に入られた方がええねんぞ」と言い、その日から彼の先輩へのベタベタ過ぎる媚びが始まった。
わざわざチャイムを鳴らし一緒に部活に行ったり、先輩を持ち上げる所謂「ヨイショ」をしたりヘラヘラと下手に出るような態度で懐に入っていった。周りもそれに合わせるように媚を売り、ついていけなかった自分はなんとなくいじられたり強く当たられるようになっていった。小学校まではほとんどなかったはずの概念である「媚」を目の当たりにした私は強い不快感を覚えた。自分が先輩達に気に入られていく流れに乗れなかったからというのもあるかもしれないが、それ以上に仲の良かった友人達が今まで見せなかったプライドはないが建前で固められている姿への不快感と、なんでこんな事しなきゃいけないんだという疑念が大きかったと思う。あと媚で出来たグループは先鋭化し、より排他的、より攻撃的になって私がその被害を被ったと言うのもある。
先輩が引退したら今度は最初に媚を売り出した奴に媚を売るグループが形成されていった。先輩ならともかく同い年なのに持て囃して媚を売って取り入る姿が本当に大嫌いだった。

高校の部活では上下関係が希薄だった為先輩への媚は発生しなかったものの、同期の中心的な奴に媚びるグループが出来、やはりリーダーとソリの合わない奴に対して排他的、攻撃的になっていった。

媚売りというのは生存本能なのだ。先輩に気に入られないと部活ではやりづらい、大きなグループに入っておかないと孤立する、そういったコミュニティの中心に入れないことで起きる生きづらさを回避する為に取る行動の一つだと私は考えている。
コミュニティ内の中心には入っておきたいが自分自身が中心になったりコミュニティで自立する事は出来ない。だから中心人物に取り入る。そういう人物は中心からはぐれることへの不安を心の片隅に抱えており、やがてグループの内部で不安等ネガティブな感情が充満し、中心人物に流されるままにノリが合わないとされる人物を排除したり、攻撃したりする。その行動に善も悪もなく、善悪は中心に完全に依存している。
私が媚び売りをする人間が嫌いな理由、それはシンプルにみっともないだけでなく、中身がない為中心人物やグループの空気次第でどんな非道な行いも出来るからだ。

もちろん私に媚びを売る人間も嫌いである。見え透いたおべっかで取り行ったり気に入られることを「処世術」としている人間など心の底から軽蔑している。

媚び売りへの怒り、私怨が強すぎてビックリしてしまっただろうか?しかし私にも慈悲の心はあるので媚び売りに対して強い怒りだけでなく哀れみも抱えているのだ。
媚び売りが生存本能だという話はしたが、裏返すと媚びを売る人間はそうすることでしか生きられなかったということになる。媚び売りは生きるための罰である。
彼らは自分に中身がない、嘘や建前がないと気に入ってもらえない、コミュニティから外れると生きられない、等々色んな理由で媚びを売らざるを得なかった人間達なのである。罰を背負う人間を哀れむのは当然の行いである。そして媚びを売らなくてもやっていける自分への誇りに繋がる。

再三言うが生きる手段なんて人それぞれで、媚び売りもその一つに過ぎない。私はそれが大嫌いだったというだけの話である。皆さんは一体何を生きる手段としているのだろうか。
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