「会うことないリスト」が自分の中にある。
会うことないリストとは文字通り、今後もう会うことのない人間をまとめたリストであり、私の脳内にのみ存在する。そして会うことないリストは毎日更新され続けている。
通りすがった人とかちょっと喋った店員さんとかも随時リストに入って行くが、今回話したいのは、かつては親しかったが今ではもう会うことないリストに入ってしまった人間についてである。
いつだってその時親しい人間とは生涯親しいままで今後ともなんらかの形で交流を続けていくものだと思い込む。まるで大抵の人が8、90年人生を全うして当然だと思い込むのと同じように。
だがそんな保証は当然どこにもないわけで、新生活等で人生のステージが変わってしまうと余程でない限り関係を続けられるのは最初だけ、気がついたら何かの弾みに連絡すら取らなくなってしまう。ステージが変わらなくとも疎遠になることも多々ある。大学に入った頃にはよく喋ったり親しくしていたのに今では顔も見なくなって久しい、なんてことも珍しくないわけだ。
しばらく会わなくなると連絡も億劫になる。勇気を出して連絡してみても不審がられる。こうやって会うことないリストが充実していくのだ。
あんなに仲が良かったのに今では会うことないリストだと思うと率直に悲しいが、私も自分も環境が変化し、その時その時の課題や人間関係で手一杯になってしまうというのは何も不思議なことではない。今を生きる以上過去として過ぎ去って行くものが出るのは当然なのだ。
それに気づいてから私は人間関係に対していずれは会うことないリストに入ってしまう覚悟を持つようになった。しかしそれは諦観とは言い換えられない。何故ならたとえ会うことないリストに入ってしまう可能性があろうと今後も関係性を続ける努力は出来ると思っているからだ。現に今でも仲のいい旧友が自分にはまだいるからだ。
会うことないリストへの意識は人間関係を粗末に扱うことではない。会うことないリストに入ってしまう可能性を知っているからこそ今の縁を大事にしようと強く思えるのだ。
会うことないリストの名前は今後もどんどん増えるだろう。しかしそれでもまた会いたいという思いは忘れてはいけない。それに例え疎遠になってもひょんなことからまた会う可能性だってあるのだ。
私は私の人間関係を諦めない。
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