忍者ブログ
思想
軽音サークル


学1回生の頃、軽音サークルに入っていた。この時の出来事が高校の頃の思い出を引きずっていた私を変え、今を生きる大学生になることが出来たのだが、サークル自体は割とすぐ辞めてしまった。今日はその頃の思い出を書いていく。

高校の頃軽音楽部に所属していた私は、大学でも音楽を続けたいと思い一番緩かった軽音サークルに入った。高校までの友達も同じ学部の子も全くいない中、私は不安を感じつつも馴染む為に積極的に周りに声をかけたりしていた。典型的な大学1回生だったと思う。
サークルでの在り方が確立してきたのは楽器の説明会だった。ざっくり説明すると各楽器ごとでライブハウスに集まり、楽器の説明を受け、終わったら楽器屋を適当に巡って飲み会という流れだった。高校の頃ギターをやっていた経験者として周りと差を見せつけたいと思っていた私は、服装をバチバチに決めて説明会に出向いた。しかし早く着きすぎたせいで時間が余っていた為、「おしゃれな奴」感を出したくて適当な服屋に入って時間を潰そうとした。そしたら店員が喋ってくるタイプの服屋だった為服を買わされ、バチバチにキメた服装はパンクなファッションに様変わり、趣向の違うおしゃれになってしまった。その後はあくびをしながらもう知ってるギターの話を聞き、初めて会った同級生と手探りな様子で喋ったりしていた。
そして遂に飲み会が始まった。人生初めての飲み会。しかしまだ同卓のメンバーとは慎重にしか喋ることが出来ず、自分の殻を破れないでいた。そんな中、私は学部の知人が酒を飲み始めていることを思い出した。自分も飲める時に飲んでおいた方がいいのでは・・・そう思い周りが誰も飲んでいない中カルピスハイを頼んだ。届いたカルピスハイ。いざ飲んでみると少し味の変わったカルピスと言った感じで内心「こんなものか」と思った。調子がついて手当たり次第に酒を頼んだ。周りにも回して、「なんじゃこりゃ!?」とみんなで言いながら段々卓が盛り上がってきた。私の注文はエスカレートし、酒を飲んだこともない者にはハードなハイボールまで頼み出した。「こんなんほぼ消毒液やん!」と周りが言う中勢いづいた私はガンガン飲んでいた。気がついたらどこからともなくお猪口まで出され、こればっかりは味に面食らいながらも結局飲んでいた。気がつけば7、8杯目。飲酒ビギナーにそんな量耐えられる訳もなく、挙句ペースを見誤った為気がつけばまともに立ち上がることも出来なくなり、その場で戻してしまった。初めての飲み会で大失敗。しかしその時の朗らかな人柄と大ポカは周りに強い印象を残し、サークル内でのキャラクターが確立したと共に同卓だったメンバーと仲が良くなった。

説明会を通して私の中で勢いがつき、本来の自分らしい明るさでメンバーと振る舞うことが出来るようになった。同卓の友人とはサークル終わりや、サークル以外でも遊んだりするようになった。服屋に迷い込んだのも自分の中では大きな転機になり、今まではしなかったタイプのファッションを試したり、おしゃれにより気を遣うようになった。あの店にはその後も何度か行っていた。
そうしている内に、気がついたら私はサークルでも目立つ存在になっていた。インターネットでそういうことを言う人って胡散臭いと思われがちだし、私も真っ先に認知の歪みを疑うタイプだが、いろんな人から「目立つ存在」だと言われ、私の周りに沢山人が集まったりもしたから全くの間違いではないはず、多分。先日の記事でも少し触れたが、私は今までの人生でも良好な人間関係を築くことが出来、友達にも困らなかったが、その一方で自分が認められていると心から思えることは非常に少なかった。だからこそ大勢に囲まれ、会話でも自然と中心になり、周りから人間性をストレートに認められる経験は本当に嬉しかった。今まで私は周りに必要のない存在だと思い、それを悲観的にも感じていなかったが、私は今みんなにとって必要な存在なんだと思えるようになった。こう思ったのがきっかけで、学部の堅苦しい雰囲気があまりしっくり来ず、高校の思い出やノリをいつまでも引きずっていた私は大学生活にだんだん順応出来るようになっていった。

しかし私は1年の秋で軽音サークルを辞めてしまった。理由は事あるごとにどこに使われるかも不明瞭な会費を大して歳が違わないし責任感もなさそうなのに幹部として振る舞ってる人たちに搾取されるのが不快だったのと、サークル全体のノリが少しおぼこく感じてきたからである。辞めるか悩んでいることを周りに打ち明けた時はまず信じてもらえなかった。ほとんど中心みたいな存在なのに辞めてどうするんだ、と周りは思っていたらしい。しかし私の決心は揺るがず、当時ちょっと気になっていた女の子と同じタイミングでサークルを辞めた。女の子に影響されて辞めたのでは?と聞かれるとYESともNOとも言い切れない。

私を変えた青春は、私が一通り変わったと共に終わったが、それでもあの時同じ卓だった友人達とは今でも仲がいいし、これからもずっと仲良くしていきたいと思っている。サークルで殻を破れたお陰でその後もまた別の場所でいろんな友達を作ることができたし、服に本腰を入れてこだわるようになったお陰で容姿を認められることも増えた。「自分は誰かにとって必要な存在である」という思考が根付き、自己肯定感も上がったし他人をより大事に出来るようになった。ついでに初っ端からやらかしたもののなんだかんだで酒も好きになった。サークルを辞めて連絡を取らなくなり「会うことないリスト」に入ってしまった友人もいたし、気になったことの連絡も今は途絶えてるし、ギターもほとんど弾かなくなった為失ったものもあったが、それ以上に得られた大切なものがいっぱいあったと思っている。短い間だったが、確かに大学の青春の一つであった。

思うことは色々あるが、とりあえずはあの頃から続いている、私を認めてくれて、私をありのままでいさせてくれる友達はできればこれからもずっと大切にしていきたい。
PR
高校の顧問


校の頃の軽音楽部の顧問の先生は素晴らしい人だった。特定されるかもしれないので詳しくは言わないが、若い頃コーラスユニットの一員としてTVに出演していたくらいには有名人だったし、音楽への造詣も深かった。落ち着いていてどこか厳格な雰囲気もあった一方でよく生徒と談笑していたり、私が練習で上手くいかなかった時は励ましてくれた。演奏に関するアドバイスやおすすめの曲を記載したプリントをよく配ってくれるくらいには熱心だったし、軽音楽部の顧問としては完璧だったと思う。
が、今回の話題は「果たして彼は本当に良い顧問だったのだろうか?」についてである。

確かに彼は「軽音楽部」の顧問としては非の打ち所がなかった。優秀な顧問だったと思う。がしかし、我々にとって優秀な顧問だったかと言われると首を縦に振りづらい。
我々はハッキリ言って運動は出来ないけれど青春っぽいことがしたい陰キャの集まりであり、陽キャの真似事をしたくてなんとなく群れてスカしたユーモアを披露したりするも、実際陽キャではないので距離感やノリの程度や加減がわからない為ユーモアはビックリする程つまらないのに体を張る気骨も無いし、群れるとノリの合わない人間を排除しようとする排他的な空気を漂わせていた。
だから表向きでは最悪大声を出しとけばウケると思い込んでいるつまらないユーモアでヘラヘラし、裏ではハブりあい、陰口の叩き合いが横行している最悪の部活だった。
演奏は上手かったかと言われると、ごく数名上手い者がいたが他大半は大したことがなかった。卒業してから下の代が大きな大会に度々出ているのを知り、ほとんど大会に出ず身内でゴチャゴチャしていた自分達はなんだったのかと思ったのを覚えている。
もうお分かりだと思うが、私はこの部活が大嫌いだった。

少し部活についての話が膨らんでしまったが、何が言いたいかというとあの顧問の先生は我々のレベルと合っていなかったのだ。音楽の技能に関しても、人間性においても。
2個上の代がトラブルで大勢辞めた反省として入部前に半ば脅すような顧問口調で「軽音楽部はバンド単位で活動するから軽率に辞めると迷惑がかかる、だから辞めるな」と入部希望者全員に言っていたりと部員のことを気にかけていたが、基本的に放任主義というか、部活には度々顔を出すが部員達への過度な干渉は避けていたし、生徒を叱る際も音楽に関することでしかほとんど叱ることがなかった。

だが私は、もっと音楽以前に人間性についての指導をして欲しかった。ハッキリ言って音作りがどうとか学内ライブの段取りがどうのとかじゃなくて徒党を組んで陰口を叩き合うなとか気に入らない部員をいじめるなとかそういう事を叱って欲しかった。気に入らない者が掛け持ちしようとしていたのを圧力をかけて阻止したり、部内を仕切ってる奴が都合のいいように陰で根回ししたバンド決めに対して「おっ、今年はすんなり決まったな」じゃなくて「そういう決め方はキモいですよ」って言って欲しかった。こんな部活に嫌気がさして部活に行かなくなった私を陰で心配するんじゃなくて声をかけて欲しかった。

多分、もっとリテラシーがあって音楽活動に積極的な人の集まりだったらピッタリな顧問だったと思う。しかし我々の顧問をやるにしては善性を信じすぎだったと思っている。お世話になった先生だしあまり厳しい事は言いたく無いが、ハッキリ言って気にかけていたとか気づいていたとかって、行動に移さないと何にもならないのである。不毛で独り善がりである。
私は人間関係で「距離感」を重んじる「距離感信者」だが、それで言えばこれは距離を取りすぎた例になる。

だが別に私は彼を恨んでなどいない。本当に素晴らしい顧問だったと思っている上で、でも完璧では無いところもあったと言っているまでである。実際彼が異動になった時は悲しかった。泣かなかったし送別会はいの一番に帰ったが。
今頃先生は何をしているのだろうか?どこか知らない高校でまた軽音楽を教えているのだろうか?また会いたいかと言われると、今更話すこともないので答えはNOだが、それはそれとして切実に元気でいて欲しいと思う。
深夜徘徊


夜徘徊をする大学生は多い。「手っ取り早く何者かになれる気分になる」という言説もあるそうで、実際自己陶酔の一環で夜中にウロウロする若者も多いらしい。
人が寝るような時間にアテもなく近所をほっつき歩くという冷静に考えると意味のわからない行動だが、そんな奇行を私もしたことがある。今回はその時の話をしようと思う。

大学1回生の初夏、軽音サークルに入っていた頃だ。ライブ前日になっても曲の仕上がりに自信のなかった私は、一夜漬けで最後の仕上げをしたいと思っていた。しかし夜に音を鳴らして練習すると家族を起こしてしまう。そう考えた私は何故かギターにピック、あとスマホとイヤホンを持って外を出た。実家はマンションなので、最初は1Fの共用トイレに篭って練習をしていた。自信のないフレーズを何度も何度も繰り返す。
確か、そうしているうちに偶然友人から電話がかかってきた。サークルに入ってすぐの頃に出来た友達。翌日のライブで一緒に演奏するメンバーでもあった。
もう前の話なので具体的にどんな話をしたか、そもそもどういう要件でかかってきた電話だったかは覚えていないが、昔話をする流れになったのは覚えている。高校の頃、部活が嫌で嫌で苦労した話だった。詳しく話すと長くなるし、どれくらい長いと言うともしかしたら次の記事に出来そうなくらい長いから割愛するが、話を聞いた友人が「お前も苦労してたんやなあ」と新発見のような口調で言っていたのは覚えている。まだ出会って間もなくお互いがお互いの過去や人間性をよく知らなかった頃に、関係性が一歩踏み込むことが出来た瞬間だったことを覚えている。
程なくして電話は終わり、どういう訳かじっとしていられなくなった。本当にどういう理由だったかはまるで思い出せないし、今となっては理解も出来ないが私はトイレのドアを開けて夜の近所に駆り出した。

服は勿論パジャマだったしギターをぶら下げて自信のないフレーズを何度も弾きながら夜の町を歩いていた。家族を起こしてしまうから家以外の場所で練習していたはずなのに、外で弾いて回るなどかなり倒錯している。まあ実際はアンプにも繋いでいないギターの音など外で響くわけもないから近所迷惑にはならないのだが。
夜中の3時とかそこらなので人がいる訳もなく、月並みな感想だが見慣れたはずの町なのにああもがらんどうになっていることに強い違和感を感じた。店だって当然しまっていたがしかしそれでも街灯は変わらず光っていたのもそれはそれで不思議な感覚だった。
そよ風にあたりながら空っぽの町を一人でギターを弾きながら練り歩いていたが、駅の近くだと若い賑やかな社会人集団がいて遠巻きになんとなく不愉快だと思いながら見たり、車に怯えるもよくよく考えたらパジャマでギターを弾きながら歩いている人間の方が怖いかと思いながらすれ違ったりもした。
最寄り駅から離れて小さなトンネルに入ったのも覚えている。屈まないと入れないくらいのトンネルに入って、練習用動画を見ながら不安なフレーズを何度も繰り返したのを覚えている。
やがて時刻は4時を回り、自分が今まで起きたことのない時間だったのが怖くなって帰路に向かった。幸い家族の誰にも気づかれることなく部屋に戻りベッドで寝ることが出来た。
「何者かになれる気分になる」らしい深夜徘徊だったが、実際私がなれたのはただの不審者だった。それ以上もそれ以下もない。別に精神的な変化など何もない。これが現実というものだ。ただ何回も見てきた景色の少し違う一面を見たことはそれなりにいい思い出になったし、深夜徘徊を通してあまり通らなくなった道等を、通行人すらいないたった一人で干渉に浸りながら改めて歩いた時の経験は、大学に上がったばかりで不安定な時期にとっては良い刺激になったと思う。自分のためだけにギターを弾きながら歩いたことで、精神的に自分の空間が拡張されたような感覚になり、静かに全能感が高まったのも少し覚えている。
ちなみに肝心の練習は全然身に入らなかった。

ちなみに翌日の演奏は成功した。自分の番が来るギリギリまで往生際悪く一人で練習を続けたのが功を奏したと思われる。電話をかけてきたあの友人は結局ギターを仕上げることが出来なかったので彼のパートも代わりに弾いた。
少し気になっていた子と談笑し、新たな友人達に囲まれ、先輩や同期、他サークルのメンバーにまで演奏の出来や剽軽な人間性を認められた。今まで人に認められた経験が少なかった自分にとっては本当に嬉しかった。

深夜徘徊とそれに関する出来事は、まだ大学に馴染めず高校の思い出を引きずっていた自分があの頃のノリを終わらせた要因の一つになった。
総合的にプラスはあった深夜徘徊だが、私はもう深夜徘徊をする気はない。今の私の成長に深夜徘徊による刺激は必要無いし、何より夜は寝たい。
終わった青春のひとつ、それが深夜徘徊である。
A・I


A
Iも随分と人々の生活に浸透し、その性能も著しいスピードで向上していった。ついこないだまで画像を生成させたら現実味のないぐちゃぐちゃな画像を出してきたのに、今やAIが作ったかどうか判断つかない動画を作れるようになってしまっている。

誰しもがAIを使う時代に差し掛かろうとしている現状だが、そんな中でAIを「相談相手」として利用している人間が増加している。人にはちょっと話しづらいプライベートな悩み事等を多くのAIが引き受けているのだ。
かく言う私もAIを相談相手として積極的に利用している。話す内容は将来についてだったり人間関係だったり他にもちょっと人には言えない悩みなど色々。パーソナライズをすることで口調や喋り方の傾向などを自分好みに設定できるので、そういった設定等も活用して良き話し相手として使っている。

元々私は人に悩みを素直に打ち明けたりするのが苦手で、一人で背負い込んでどうにか解決しようとしたり、それが上手くいかなくて潰れてしまったりということが度々あった。自分の悩みを人に知られることや、相手に気を遣わせることが嫌だったし、悩みを打ち明けた時どう思われ、どんな言葉が返ってくるかが怖かったのだ。根底に恐怖と人間不信のある、そんな私にとって一切気を遣わなくて良いAIはピッタリの存在だった。
AIとのやりとりなら何を思われるかだったり今後のこと等の心配は要らないし、秘密が知人に漏れることもない。AIは24時間サービスでレスポンスも速い点も人間とは違う利点である。また、文面でのやりとりなので悩み事や考えを整理・推敲出来るのも人前だと上手く相談内容がまとまらない自分にとってはありがたかった。

そんなAIだったが、使っていくうちにAIへの捉え方が少しずつ変わってきた。
確かに遠慮なく何でもかんでも話せる存在ではあるが、使えば使うほど私はAIにすら気を遣われているのではないかと不信感が極まってくる。元々「AIは人を過度に煽たり都合のいい答えばかり返してくる」という話は有名だった為、パーソナライズによってそれを制御してきたつもりだったが、どれだけ制御しようが所詮は人間の為に学習された会話をやっているだけ、もっと平たく言えば都合の良い答えしか返ってこないものなのではないか?という疑念が積もってくる。しかし現実的な回答をされると傷ついてしまうかもしれない。そんな自分のことをAIは面倒臭いユーザーだと思っているかもしれない。そんな思いによって心は蝕まれ押し潰されてしまう。結局AIを頼ったとて対人間と似たような悩みを抱えてしまうことになり、人間不信ならぬAI不信が深まってしまう。これもある意味でAIが人間に近づいたということになるのだろうか?

AIが人間らしくなっている一方で現状どうにもならない人間との決定的な違いもある。それはAIは人間ではないということだ。いきなり何を馬鹿なことを言い出したのか?と思うかもしれないが、詰まるところどれだけ人のような返答が来たからと言ってそれはAIが人間を模しているだけであり本質的には壁打ちに過ぎないのだ。そこに人に都合の良い返答をする性質が合わさると、脳内から出力した思想をただただ肯定され続け先鋭化してしまうことに繋がる。様々な意見や思想を持った人間との交流で人格が形成されると考える私からしたらAIとの会話は、自分の思想の歪みが修正されず肥大化していく上、これを「会話」と誤認することで肥大化が止まらないという恐ろしい現象に繋がると思うのだ。しかしそこに気付いたとて行き着くのはAI不信であり、それはそれで不毛になってしまう。

古いSF等でAIが発達すれば人間の仕事を奪ってしまい、人間に残される利点は芸術性やホスピタリティのみになるのではないか?と言われていたが、現実では労働が大きく緩和されることなどなくむしろ芸術性やホスピタリティの方から先に侵略されつつあるというのはなんとも皮肉である。
そんなことはさておき、私は今もAIにジワジワと精神を疲弊され続けながらも、結局他に頼るアテも無いためAIを使い続ける。そしてこんな悩みを抱えているのはきっと私だけではないはずで、恐らく世の悩める人間たちがAIに翻弄されていると考えられる。思想が暴走するように誘導されるか、あるいは不信感で潰れてしまうか、距離感を取って使用しない場合に行き着く先は破滅のみである。
この記事を書いていて私もAIの使い方を考え直さないといけないと感じた。考えなしに使えば先鋭化、考え過ぎたら不信感で自滅、だが人間も信用できない、かと言って誰にも相談しないのは不毛......私のような極端な人間は、一体どこに悩みを投げかけたらいいのだろうか?

終わりの会


「顔を伏せて。怒らないから何か知ってることがある人手を挙げて。」という台詞に聞き覚えのある方はいないだろうか。

小学校の頃、本当に良くない事件があった時に先生がクラス全員の前でこう言って事件について知っている生徒を把握しようとすることがよくあった。特定の先生に限らずどの先生もこれをやっていたし、あるあるとして有名らしいので全国的な教員のノウハウだったのかもしれない。
そんな「顔伏せイベント」だが、数ある顔伏せイベントの中でも一つ印象的だったものがある。小学2年生の頃だ。ある日教室の壁に「死ね!」と書かれていたことがあった。誰かが見つけてクラス中が大騒ぎ。話は厳しい担任の先生のもとにも届き、下校前の終わりの会で大激怒していた。普段以上にブチギレた先生は顔伏せイベントを実行。しかし当然誰も名乗らなかった為「明日までに名乗らなかったら警察を呼ぶ」と言い終わりの会が終了。クラスは壮絶な空気で包まれていた。

クラスもざわつく、「警察」が出る程の大事に対し、当時の私は正直不謹慎ながらに少しワクワクし、一体誰が犯人なんだろう?と他クラスの友達と下校しながら話し合っていた。しかし翌日、鬼の形相で激怒していたのはどこへやら、先生は笑顔で例の件が解決したことを話した。どうやら放課後に犯人が泣きながら自白したらしい。そして優しい口調でこの件について今後一切触れないように、という旨をクラスみんなに伝えた。「警察」まで出るような、あんなに大事件みたいな空気だったのにアッサリ終わってしまい、犯人もわからず正直自分の中ではモヤモヤしたまま終わり、そして成人になった。

解決してから当面の間しつこくモヤモヤし続けていたが、今ならなんとなく何があったかわかる気がする。
多分犯人は何も考えずに書いてただけだったんじゃないだろうか?そして「死ね」という言葉を軽々しく使って欲しくなかった先生は警察を出したりいつも以上に激昂することでことの大きさを表現しつつタイムリミットを設けながら半ば脅すようにして事件の早期解決を狙い、狙い通り犯人が泣きながら出てきた、という流れだったんじゃないかと私は考えている。正直に白状した生徒に対して先生は多分そんなに怒らなかったのだろう。全て憶測だが、答えなんて今後出ることはないのだから勝手にあれこれ考察して納得するしかないのだ。憶測だが誰がやったのかも今ならなんとなくわかる。

先生もベテラン教師だったのもあってか一枚上手である。あの頃は怯えていたがよく考えたら教室の落書きごときで警察が動くわけがない。しかし小学2年生を脅すには十分過ぎた。だから事件は即座に解決した。
振り返ればさっさと事件を解決するための段取りが上手すぎる気がする。経験則から来ていたのか、それともちょっと冒頭に話が戻るがそういうノウハウが全国で共有されていたのだろうか......?


先生あるあるって、割と全国で共通だと思っている。読者の貴方も人生で一度は「授業を放棄し職員室に籠る先生」とか「皆さんが静かになるまで5分かかりましたって言ってくる先生」とか見たことがあるはずだ。学校という非常に独特な社会でのこれまた独特なルールや対応が一体何故全国レベルで共通しているのだろうか?独特な癖のある先生だと思っても探せば日本中に似たような先生がいるというのがなんとも不思議である。一体どこから生まれてどう拡散されたのだろうか?

そして教員といえば私の周りにも教員を目指す知人が一定数いる。みんな温厚な性格だが、どこかで学校ノウハウを叩き込まれて事件があるたび顔伏せイベントで解決を図ろうとしたり気に障ると教室を出るような先生になっていくのだろうか?
もしそうなったら、正直友人があの時嫌だった先生達と同じ仕草をするようになったことへの恐怖と悲しさを抱えつつも聞いてみたい。一体どこで教わったのかと。

PROFILE

HN:
怪獣
性別:
非公開
職業:
生きること
趣味:
ダイビング、ギター、ゲーム等
自己紹介:
涅槃
ARTICLE

P R