今、「優しさ」が軽視されていると思っている。
「優しいだけの男はモテない」と優しいことが前提条件あるいはマイナス要素のように語られたり、店やサービス等で親切丁寧な対応をされるのをいいことに横柄な態度を取る者がいたり、人の親切につけ込んだり利用する者がいるなど世の中では「優しさ」が舐められ過ぎている。
私はこれらの風潮を到底許せないものだと深刻に考えている。
優しさを軽視する者達は想像力が足りなさすぎる。優しさと一口に言っても色々あるが、大抵の優しさは他者の気持ちを思いやった上で成り立っている。優しさは一人では成り立たないのだ。
相手がどう思うかとか、何が相手のためになるとか、優しさとは他者の為にあれこれ考えたりエネルギーを使う行為なのである。例えそれが下心由来だったり純粋とは言えなかったとしても多大なエネルギーを使っていることに代わりはない。しかもそれを自分以外の為に使うなどなんと尊い行為なのだろうか。
そういったことを考えず、他者から享受されるばかりの人間は人として未熟であると私は思うのだ。人の為に多大なエネルギーを使う行為が優しさなのだとしたら、もしそのエネルギーが攻撃の為に使われたとしたら一体どうなるだろうか?優しい声かけや言わなかった言葉が悍ましい暴言に、丁寧な謝罪が粗雑な暴力に、きめ細やかな接待が酷い無礼に......。そういうことを考えられない人間が多過ぎると言っているのだ。
日頃から親切な人間はその分多量なエネルギーを抱えて、それを傷つけることに使わないよう細心の注意を払いながら生きている。自分の事で精一杯な人間にはそれがわからない。そしてわからないことを恥ずかしいとも思わない。これを厚顔無恥と言うのだ。
人が人に優しくすべきであると言われる理由、それは色々あると思うがその中の一つとしてこういう大きなエネルギーを持った人たちがそれを悲しい使い方で使わなくていいようにする為、というものがあると私は思っている。そうやって人の優しさに応えながら自分の中の優しさやエネルギーを育てるのが本来の在り方だと考えている。
かくいう私も未熟だ。優しくもなんともない。しかし優しい人間を慮る努力は欠かさないようにしている。そうやって自分のエネルギーを育て、大切な誰かに使っていきたいのだ。
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